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北前船物語第6回

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第6回ー酒田沖の北前船の帆が見えなくなる雪の季節ー

 11月から翌年の3月までの雪の季節は、ひっそりと暮さなけばならない。こうした時期に光丘は防砂林の植林事業で失業対策をし、酒田の活性化を促していた。光丘は人々の暮らしが向上すれば,自分も更に飛躍できるとの考え方が基本にあったようだ。じっくりと先を見据えた光丘の考えは姫路の奈良屋での商いの修行から学んでいた。姫路で3年の修行の後、酒田戻ってからこの考えを実践して行く中で「相場は永く家を保つ道にあらず」の考え打ち出して、宗久の投機商法と対決し堅実経営路線を推進する為に、宗久と縁まで切ってしまうのだ。光丘の理念は自分一人だけが法外な利益を独占したり、苦労せずに「濡れ手に粟」式に儲ける事を嫌っていたから、宗久の対立は起こるべきして起こった事だった。この光丘の話を現代にあてはめて話をすると»»
トランプ氏の経済政策への期待から今アメリカ株は連日上げている。これは同じ共和党時代のレーガノミックスで大きく株が上げていた時代と似ている。日本でもこの影響から、バブルが発生し1989年末まで株は上げは続いた。この時、企業まで財テクブームが起きて、多くの会社が本業より資産運用に走り、その後のバブル崩壊で大きな打撃から不正会計が横行し山一証券もそれが原因で倒産している。オリンパスのように15年も隠し続けた例もある。これは日銀の政策の失敗がバブル崩壊を加速させ、失われた20年という言葉まで生まれた。これは光丘が打ち出した「相場は永く家を保つに有らず」にあたる。これは「濡れ手に粟」で利益を上げた反動は大きくその後の展開が悲惨になるいい例だ。そこで、また前回の地道に積み立てるリスク商品の話の続きになる。

毎月の積立をしていく上で、重要な2つのポイントがある。その1つは元本が保証された商品に投資にすると、将来に期待がもてない。第2回で話した、リスク商品に時間分散の論理で毎月投資し10年出来ば30年以上継続して積み立てをして始めて実るのだ。2つ目は企業つまり、個別の会社には投資しない事だ。これは投資が最低でも10年以上になる為に、その間に会社にどんなリスクが出てくるのか、誰にも予測が出来ないからだ。それは企業のスキャンダルだけではなく、突然の自然災害に影響を受けた東京電力の例もあるからで、企業は永遠ではないからだ。ただ巨額の資金を扱う場合、分散して沢山の会社に機動的に投資する話は別だ。積み立て投資には株式の指数に投資するのが最適だ。ソニー生命の場合は日本株では日経225型とトピックス型があり、外国株は、為替とも連動する株関連が2件、そして債券でも日本のもと世界のものがある。 

 外国株は指数に投資するドル建てのMSCIワールドインデックスと、アメリカ、イギリス等の各国の通貨でその国の個別株運用しているものがある。当初5年位は元本が少ないので日本株と世界株の2本に分けて積み立てをすればいいが、5年も過ぎると元本の残高が増える。この時から元本は分散しないで1本で投資する事で、資産移転の面白みがわかって来る。次回はこれについてだ

 

 
  

北前船物語第5回

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第5回宗久は酒田から北前船で大阪堂嶋に行って活躍する

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酒田に戻り孤独の日々の中で、大徳智間和尚の禅の教えからヒントを得て立ち直った宗久は北前船で大阪堂嶋に行く。当時の堂嶋の米市場は江戸蔵前より大きく、それは北前船で運ばれた年貢米が堂嶋に集まっていたからだ。正米取引と米先物でにぎわい大名や将軍もいない幕府直轄地の堂嶋は、米価のリスク回避と安定を望んだ8代将軍吉宗が、1730年に堂島米会所として帳合米取引を公許したものでした。こうして青田買いにあたる先物取引(帳合米取引とよんだ)が発達し、仲買人が1000人を超えていたと云われています。この堂島米会所の身振り手振りがシカゴ農産物先物取引所やシカゴ商品先物取引所で行われている手信号による売買と同じだったのは、江戸後期に来日していた、シーボルトが堂嶋を見て母国に伝え、それがシカゴに伝わったとの説もある。堂島米会所は差金決済制度や証拠金の設定など世界で最初の組織で、その後大阪堂島米穀取引所と名前は変わり、昭和14年まで存続していました。その堂嶋で宗久は江戸での失敗から禅を通し磨きをかけた投機の考えを確立していた事から巨額の利益をだし「出羽の天狗」と称されるようになっていました。その快挙に、「酒田照る照る、堂島曇る、江戸の蔵米雨が降る」と唄が流行するほどであったという。 

 宗久の投資手法は時間分散の考えとは180度違い、それは一機に投資するものでそれは投機と云われるものでその研究をしていたのだ。つまり10年以上の単位で考えるものではなく、一度に大きな投資をする、多くの人が望む投資法で成功すれば一攫千金だ。アベノミックに続きトランポノミックスのような時代では初期ではその可能性が高いものの、その成功体験から利益以上の損失を出しあるいはそれ以上の含み損を抱えてしまう人は多いい。

 そこで登場するのが、誰もが出来るリスク商品に毎月積み立てする話だ。年金積立が出来ない人のリスク商品の積み立てには、前回の話で金積み立てと、生保の変額年金がありそれぞれ難点があるので、自分に合うもを選べばいい。変額年金の難点は60歳過ぎれば積み立ての開始が出来ない生保が多いのに対して、金積み立ては開始に年齢制限がない。利益に対する税金面では、金投資では控除が雑所得年20万円以内の為、他の雑所得があれば控除はないので積み立ても小口でしかできないが、現物の金として受け取る方法がある。これに対して変額年金では1年間に50万円の税金の控除があるのだ。これで50万の利益の特典を使い毎年減額(この部分は担当の方に聞いてください)していき、これを20年続ければ1000万円の利益が無税扱いになる。例えば30歳の時に毎月1万円を投資し75歳から受ける契約をした例で話すと、55才から毎年減額し、それを20年間続ければこの特典を利用出来て1000万円の利益が無税になる。これは理論上の話でこれを実現するには、1万円の追加投資を後2つしておかないと実現がしない。また一度に多くの金額を積み立てるより何本も投資した方が利点があるのは投資して5年以上経過すればわかるー次回からはこのリスク商品の変額年金の現実の話を掘り下げての話だ

 

北前船物語第4回

第4回酒田沖は北前船の帆で林のように見えたと云われていました

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それは酒田にも「米会所」があり米の取引では10分の1の証拠金で米の先物取引出来る仕組みもあり、米だけでも年間88万俵の取引があった事から各地から弁財船(北前船)が来ていたからだ。米の先物に一攫千金を夢見て酒田にきたが者もいたようだが、夢破れ身を崩した者が多くいた話が残っている。そんな酒田で育った宗久は10代の頃から米相場に強い関心をもち、これこそ生涯をかけてすすみ道だと考えていた。
 そして酒田の小天狗とまで言われる程に成長していた宗久だったが、江戸での大失態(第2回参照)から失意のまま酒田に戻ったが、5男の宗久に居場所はなかった。それは本間家には代々にわたり投機を禁じる家訓があり、3代目の当主の光丘と米先物の話をする事はなく、父久四郎からも先物取引は固く禁じられていたからだ。それでも米相場への思いがあつた宗久が相談出来たのは、海晏寺の大徳智間和尚だったようだ。
今も残る海晏寺は曹洞宗禅宗で、酒田市史(経済編上)には海晏寺と本間家の関係について詳しく書かれているが、宗久と大徳智間和尚との事は書かれていない。おそらく吉川英治の小説「宮本武蔵」の中にあった沢庵和尚と武蔵の話と似た内容だったに違いない。禅と剣を結びつけた小説宮本武蔵と沢庵の話は創作だが、宗派は違っても同じ禅宗だったから、宗久も大徳智間和尚の禅の教えから、立ち直るききかけをつかんだと云われている。江戸期、剣に生きた人は武蔵の「五輪書」を愛読したが、今はアメリカやフランスでも経営等の哲学書として人気があるように、「本間宗久相場三昧伝」は現代の投資家の愛読書になっており、宗久が考案したローソク足は世界の投資家に浸透している
宗久は米先物を父に進言した事もあるが「商いの正道ではない」と聞き入れられる事はなかったが、この言葉は現在も生きている。それは一攫千金を夢見るより、地道に毎月定額を長期にわたり積み立てをしていく事こそが正道だという意味になる。それは光丘のように時間かければ、誰でも投資の達人になれるが、投資元本を保証がない商品に投資してこそ意味がある。それは第2回で述べたリスクの時間分散をする積み立て投資だ。前回は今年から「イデコ」の新たな減税措置が始まった話だったが、今回はそれに該当しない人の話だ。それは来年から新たに始まる積み立てNISAなら誰でも投資できます。これまで既にNISAや子供NISAがあるが、これらは時間分散が出来ないリスクが潜んでいて、この時間のリスクから損をする事は誰も教えてくれない。これに対して積み立て投資は長きに渡り時間の分散をし、リスク商品に投資するものだ。その代表的なもとして、純金に毎月投資する商品と、生命保険が扱っている変額年金があるー次回はこの話です

f:id:kitamae-bune:20170129104834j:plain平成28年7月岩国の佐々木小次郎像の前でーこの近くにある錦帯橋ちかくで小次郎が燕返しの練習をしたのは小説の世界でこの橋は小次郎の時代にはまだ出来ていなかっ 

北前船物語第3回

 

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酒田沖には北前船が500隻以上が待機していたと言われ、交易で潤い「西の堺、東の酒田」と呼ばれていた事は広く知られています。中でも本間家は「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」とうたわれる程繁昌していました。この俗謡に謳われるような存在になったのは3代目光丘(1733-1801)が本間家の家督を継いでから五十年かけて成し遂げたものでした。本間家は北前船交易で、最上平野に産する米・藍・漆晒、蝋、紅花等を大阪方面に回漕し、帰船には同地方の既製品・古着などを積込んできて販売し巨額の富を得ていました。その資金で土地を買い続けやがて日本一の地主にもなります。また金融業にも力いれ、低利で返済も長期で、藩の借金の借り換えにも超低利で協力していたようです。時間をかけて着実に事業を伸ばしていき、その影響力はやがて東北諸藩全体に及ぶようになっていました。それは「自分を活かし、他人を活かし、地域も活かす」本間家の理念が基本にあったからでした。本間家が一番時間をかけたものに、光丘の代に私財をもって酒田西浜に砂防のため始めた植林事業があり、それは代々受け継がれ大正時代まで100年以上もつづられていました。

 本間家の二人の生き方から、資産形成の視点でこれを考えると宗久より、相場に手を出す事を嫌い、地道に時間をかけ着実に家業を展開していった光丘の手法が参考になると思います。それは前回の話につながますが、長期にわたり毎月積み立てをしていくもので、その代表に401K確定拠出年金があります。この年金制度は2017年1月から拡充され、これまで加入できなかった公務員や家庭の主婦、勤め先に企業年金がある会社員等約2600万人の20歳から60歳までのほぼすべての働き世代の人が新たに加入できるようになりました。今回の改正は税制上の優遇措置が一番のポイントで、掛金全額が所得控除の対象になり、運用益にも課税されない事です。これが「イデコ」と呼ばれるもので、ソニー生命の試算によると、課税所得500万円の会社員の方が毎月2万3,000円の掛金を積み立てた場合、年間82200円(所得税と住民税の合算)のお得になり、その期間が最大で40年も続き、所得が多いい人は更に税が軽減されます。ただ運用資産は60歳まで引き出す事が出来ませんが、60歳以降に年金または、一時金で受け取る場合どちらにも、税制上の優遇措置があります。次回に続く

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本間家旧本邸(薬医門)

(写真は本間家旧本邸の協力を頂いて掲載しています)

北前船物語第2回

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第2回北前船発祥地の酒田の本間宗久が生みだした

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 アメリカのグランビルが開発したグランビルの法則でも先行きを予測する事はできなくなり大損する事はよくあります。それは新たに起きた事象があった時、適切な対応ができないからです。この場面で資金が必要になったり、資金に余裕があっても、恐怖心や不安から解放されてたい気持ちに負けてしまう人が多いいからです。宗久が新たな事象に対応できなかったのは宝暦の大飢饉の時でした。1756年頃、酒田から江戸に出て来た宗久は高くなり過ぎていた米の値段を見て空売りを大量にしていったのです。その頃の江戸では宝暦の大飢饉と大水害がありましたが、この新たな重大な事象のさなか、宗久はそれまでの経験則から大量にカラ売りをしていきました。宗久の期待に反して米は上げるばかりで、たちまち数千両の資金を失ってしまい失意のうちに酒田に帰りましたが再びよみがえるのです。出羽の天狗と云われる程、自他共に認められていた宗久のように相場に精通していても、新たな事象に対応が出来なかった例です。長い人生どんな事象がいつ何が起こるか予測は到底不可能な事です。
 ここではどんな事象が起きても、時間や豊かな気持ちで、誰でも投資する手法として、毎月定額をリスク商品に投資する事で、リスクを軽減できる方法を紹介して行きます。
それはドルコスト平均法ともよばれ、毎月同じ額を投資しそれを10年以上「同じ金額」で購入し続けることは、取得単価を引き下げる効果がある投資法だ。それは例えば「毎月1万円の同額」を投資すると、結果的に「安いときは沢山買って、高いときは少なく買う」という戦略が自動的に出来る投資なのです。これは万能では ありませんが、10年20年と続けていく中で新たな事象があっても心の余裕と、時の分散でリスクの分散が図れるのです。
 相場が右肩上がりに上昇する時代なら、毎月積み立てに投資をするより、当初にまとめて投資をする方がお得になり、逆に、右肩下がりに下落するような時期であれば、最初に買っている分は含み損となるので、 投資すべきでないのですが、誰にも先に起こる事象の事はわからないのです。
超長期で毎月積立投資をするというのは、投資知識のない人にも出来きて「相場判断」もしないで機械的に投資できるもので、これが「時間の分散」になり、長い期間程有利になるのです。これに投資出来がる商品はこれまでは「積立型投資信託」と「積立型変額年金」「401K確定拠出年金」があります。そのうち確定拠出年金年の制度が2017年1月から拡充され、それは税制面からの支援する活気的なものです。政府が後押しする資産形成のため「税制優遇制度」として、今年は急速に普及することが見込まれています。そこで次回はこの話です。
 
 参考ードルコスト平均法の考えを応用した運用方法に「バリュー平均法」という運用スタイルをアメリカのハーバード大学の元教授である「マイケル・エデルソン博士」が考案、発表した積立投資法があります。これはドルコスト平均法の戦略をより強化したもです

 

f:id:kitamae-bune:20170104192245p:plain平成28年9月1日撮影

酒田にある大信寺でここには北前船で遭難した人の他国船墓地があつた

北前船物語第1回

第1回北前船の発祥地酒田には本間家に2人の偉大な人がいました

 

 

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酒田の本間家の1人、宗久(1724~1803年)の話しからです。北前船が盛んだった時代の1730年、世界に先駆けて米の先物市場が大阪で堂嶋で開始され、酒田や江戸蔵前にも取引所が出来ていました。それは米本位制と言っても過言ではない日本の事情がありました。それから250年、米国や欧州の先物はこの堂島での手法を発展させたに過ぎないのです。この時代、米相場から投資手法を生み出し成功した酒田五法は、宗久が編み出した投資手法(トレード法)です。世界に先駆けて米の先物市場が生まれるに至った背景は、家康が幕府を開いた江戸で人口が急増し、米が不足するようになった事が起因しています。幕府は江戸での米不足を解消する為、1620年、浅草に米蔵(今の蔵前)を作りましたが、コメ不足は続いていました。こうして酒田等日本海の米を安全に江戸に運ぶ必要が生まれ、河村瑞賢が1672年西回り航路を確立し、これが北前船航路の始まりでした。こうして酒田ー加賀ー大阪-江戸に大量の米が運ばれるようになって、年貢米等も含め大阪に米が集まるようになりました。それを管理する為に出来たのが堂嶋の米の先物取引所で、米不足に苦悩していた8大将軍吉宗の政策から生まれたものでした。それから250年、アメリカで先物取引から裁定取引が生まれたのですが、先物取引裁定取引にはリスクがない取引だと言われています。その後も、アメリかでは次々にリスクを取らない取引手法が開発されています。ここではそんな難しい話ではなく様々な仕組みを理解する事、そして時間や心の余裕を味方につけ、誰でも無理なく投資ができる話の始まりです。

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 酒田日和山公園にあった河村瑞賢の銅像(2016年9月1日撮影)