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北前船物語第6回

第6回ー酒田沖の北前船の帆が見えなくなる雪の季節ー 11月から翌年の3月までの雪の季節は、ひっそりと暮さなけばならない。こうした時期に光丘は防砂林の植林事業で失業対策をし、酒田の活性化を促していた。光丘は人々の暮らしが向上すれば,自分も更に飛…

北前船物語第5回

-07 第5回宗久は酒田から北前船で大阪堂嶋に行って活躍する 酒田に戻り孤独の日々の中で、大徳智間和尚の禅の教えからヒントを得て立ち直った宗久は北前船で大阪堂嶋に行く。当時の堂嶋の米市場は江戸蔵前より大きく、それは北前船で運ばれた年貢米が堂嶋に…

北前船物語第4回

第4回酒田沖は北前船の帆で林のように見えたと云われていました それは酒田にも「米会所」があり米の取引では10分の1の証拠金で米の先物取引出来る仕組みもあり、米だけでも年間88万俵の取引があった事から各地から弁財船(北前船)が来ていたからだ。米の…

北前船物語第3回

第3回北前船交易を基盤に私財をもって貢献した酒田本間家3代目光丘の話です 酒田沖には北前船が500隻以上が待機していたと言われ、交易で潤い「西の堺、東の酒田」と呼ばれていた事は広く知られています。中でも本間家は「本間様には及びもないが、せめてな…

北前船物語第2回

広告を非表示にする もっと読む 第2回北前船発祥地の酒田の本間宗久が生みだした アメリカのグランビルが開発したグランビルの法則でも先行きを予測する事はできなくなり大損する事はよくあります。それは新たに起きた事象があった時、適切な対応ができない…

北前船物語第1回

第1回北前船の発祥地酒田には本間家に2人の偉大な人がいました 酒田の本間家の1人、宗久(1724~1803年)の話しからです。北前船が盛んだった時代の1730年、世界に先駆けて米の先物市場が大阪で堂嶋で開始され、酒田や江戸蔵前にも取引所が出来て…