北前船物語第1回

第1回北前船の発祥地酒田には本間家に2人の偉大な人がいました

 

 

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酒田の本間家の1人、宗久(1724~1803年)の話しからです。北前船が盛んだった時代の1730年、世界に先駆けて米の先物市場が大阪で堂嶋で開始され、酒田や江戸蔵前にも取引所が出来ていました。それは米本位制と言っても過言ではない日本の事情がありました。それから250年、米国や欧州の先物はこの堂島での手法を発展させたに過ぎないのです。この時代、米相場から投資手法を生み出し成功した酒田五法は、宗久が編み出した投資手法(トレード法)です。世界に先駆けて米の先物市場が生まれるに至った背景は、家康が幕府を開いた江戸で人口が急増し、米が不足するようになった事が起因しています。幕府は江戸での米不足を解消する為、1620年、浅草に米蔵(今の蔵前)を作りましたが、コメ不足は続いていました。こうして酒田等日本海の米を安全に江戸に運ぶ必要が生まれ、河村瑞賢が1672年西回り航路を確立し、これが北前船航路の始まりでした。こうして酒田ー加賀ー大阪-江戸に大量の米が運ばれるようになって、年貢米等も含め大阪に米が集まるようになりました。それを管理する為に出来たのが堂嶋の米の先物取引所で、米不足に苦悩していた8大将軍吉宗の政策から生まれたものでした。それから250年、アメリカで先物取引から裁定取引が生まれたのですが、先物取引裁定取引にはリスクがない取引だと言われています。その後も、アメリかでは次々にリスクを取らない取引手法が開発されています。ここではそんな難しい話ではなく様々な仕組みを理解する事、そして時間や心の余裕を味方につけ、誰でも無理なく投資ができる話の始まりです。

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 酒田日和山公園にあった河村瑞賢の銅像(2016年9月1日撮影)