tumitate’s blog

投資について、北前船発祥地の本間家の2人から考えました

北前船物語第1回

  1. 第1回は、北前船の発祥地酒田の本間家の歴史上の2人の生き方から
  2. コツコツと投資する重要性を宗久と光丘の違いを小説や文献から考えました。
 この北前船物語は第6回まであります。
また北前船シリーズには以下の2つもあります

「すすめ!北前船」第13回(下津井) - すすめ北前船

瀬戸内坂越の北前船交流記第1号(坂越) - 瀬戸内坂越の北前船交流記

があります(2018年追記)

 

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酒田の本間家の1人、宗久(1724~1803年)の話からです。

 

 家康が幕府を開いて以来、江戸での人口の急増から江戸では米不足が続いていた為、1620年、浅草に米蔵(今の蔵前)を作りましたが尚コメ不足は尚続いていました。

  そこで、酒田の米を安全に江戸に運ぶ必要が生まれ、1672年から幕府が雇った御用船で西回り航路を使い、酒田ー加賀ー大阪、そして江戸まで大量の米が運ばれ、これが50年以上続いていました。

こうして江戸での米不足は解消しましたが、吉宗の時代は、豊作から米価が下落し武士の給金は目減りし生活苦に陥り、幕府の財政にも影響を与えるよになっていました。

これは武士の給金が米で支払っていたからでした。

そこで吉宗は、享保の改革を断行した中に、米の流通の仕組みを変えています。

こうして、御用船から廻船業者に、更に世界に先駆けて米の先物取引を大阪で堂嶋、酒田や江戸蔵前等にも取引所が出来るようにしました。

  こうして頭のいい武士は、先物で下落を回避し 欲深い人々に米の売買をさせました。それから178年後に、アメリカで先物取引から生まれています。

この先物取引はその後さらに進化して、裁定取引が生まれています。

これはリスクがない売買手法で現在1988年日本の株式市場でも導入されバブル経済を加速させています。

  また、御用船の民営化から、民の北前船が大活躍する事になります。

こうして、酒田に相場師本間宗久が誕生したのです 

しかし本間光丘は相場を嫌い、相場に生きた本間宗久と縁を切り地道な経営から、やがて日本一の地主になります。

 光丘の地道は生き方は、現代の今でも運用でも通用します。

コツコツと時間を味方につけ、誰でも無理なく老後を豊かに生きる投資の話の始まりです。

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 酒田日和山公園にあった河村瑞賢の銅像(2016年9月1日撮影)