tumitate’s blog

投資について、北前船発祥地の本間家の2人から考えました

北前船物語第4回

第4回酒田沖は北前船の帆で林のように見えたと云われていました

f:id:kitamae-bune:20170125160821j:plain

 それは酒田にも「米会所」があり米の取引では10分の1の証拠金で米の先物取引出来る仕組みもあり、米だけでも年間88万俵の取引があった事から各地から弁財船が来ていたと。米先物に一攫千金を夢見て酒田にきたが者もいたようだが、夢破れ身を崩した者が多くいた話が残っている。そんな酒田で育った宗久は10代の頃から米相場に強い関心をもち、これこそ生涯をかけてすすみ道だと考えていた。
 

 そして酒田の小天狗とまで言われる程に成長していた宗久だったが、江戸での大失態(第2回参照)から失意のまま酒田に戻ったが、5男の宗久に居場所はなかった。それは本間家には代々にわたり投機を禁じる家訓があり、3代目の当主の光丘と米先物の話をする事はなく、父久四郎からも先物取引は固く禁じられていたからだ。

それでも米相場への思いがあつた宗久が相談出来たのは、海晏寺の大徳智間和尚だったようだ。
今も残る海晏寺は曹洞宗禅宗で、酒田市史(経済編上)には海晏寺と本間家の関係について詳しく書かれているが、宗久と大徳智間和尚との事は書かれていない。おそらく吉川英治の小説「宮本武蔵」の中にあった沢庵和尚と武蔵の話と似た内容だったに違いない。禅と剣を結びつけた小説宮本武蔵と沢庵の話は創作だが、宗派は違っても同じ禅宗だったから、宗久も大徳智間和尚の禅の教えから、立ち直るききかけをつかんだと云われている。江戸期、剣に生きた人は武蔵の「五輪書」を愛読したが、今はアメリカやフランスでも経営等の哲学書として人気があるように、「本間宗久相場三昧伝」は現代の投資家の愛読書になっており、宗久が考案したローソク足は世界の投資家に浸透している
宗久は米先物を父に進言した事もあるが「商いの正道ではない」と聞き入れられる事はなかったが、この言葉は現在も生きている。それは一攫千金を夢見るより、地道に毎月定額を長期にわたり積み立てをしていく事こそが正道だという意味になる。それは光丘のように時間かければ、誰でも投資の達人になれるが、投資元本を保証がない商品に投資してこそ意味がある。それは第2回で述べたリスクの時間分散をする積み立て投資だ。前回は今年から「イデコ」の新たな減税措置が始まった話だったが、今回はそれに該当しない人の話だ。それは来年から新たに始まる積み立てNISAなら誰でも投資できます。これまで既にNISAや子供NISAがあるが、これらは時間分散が出来ないリスクが潜んでいて、この時間のリスクから損をする事は誰も教えてくれない。これに対して積み立て投資は長きに渡り時間の分散をし、リスク商品に投資するものだ。その代表的なもとして、純金に毎月投資する商品と、生命保険が扱っている変額年金があるー次回はこの話です

f:id:kitamae-bune:20170129104834j:plain平成28年7月岩国の佐々木小次郎像の前でーこの近くにある錦帯橋ちかくで小次郎が燕返しの練習をしたのは小説の世界でこの橋は小次郎の時代にはまだ出来ていなかっ