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北前船物語第5回

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第5回宗久は酒田から北前船で大阪堂嶋に行って活躍する

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酒田に戻り孤独の日々の中で、大徳智間和尚の禅の教えからヒントを得て立ち直った宗久は北前船で大阪堂嶋に行く。当時の堂嶋の米市場は江戸蔵前より大きく、それは北前船で運ばれた年貢米が堂嶋に集まっていたからだ。正米取引と米先物でにぎわい大名や将軍もいない幕府直轄地の堂嶋は、米価のリスク回避と安定を望んだ8代将軍吉宗が、1730年に堂島米会所として帳合米取引を公許したものでした。こうして青田買いにあたる先物取引(帳合米取引とよんだ)が発達し、仲買人が1000人を超えていたと云われています。この堂島米会所の身振り手振りがシカゴ農産物先物取引所やシカゴ商品先物取引所で行われている手信号による売買と同じだったのは、江戸後期に来日していた、シーボルトが堂嶋を見て母国に伝え、それがシカゴに伝わったとの説もある。堂島米会所は差金決済制度や証拠金の設定など世界で最初の組織で、その後大阪堂島米穀取引所と名前は変わり、昭和14年まで存続していました。その堂嶋で宗久は江戸での失敗から禅を通し磨きをかけた投機の考えを確立していた事から巨額の利益をだし「出羽の天狗」と称されるようになっていました。その快挙に、「酒田照る照る、堂島曇る、江戸の蔵米雨が降る」と唄が流行するほどであったという。 

 宗久の投資手法は時間分散の考えとは180度違い、それは一機に投資するものでそれは投機と云われるものでその研究をしていたのだ。つまり10年以上の単位で考えるものではなく、一度に大きな投資をする、多くの人が望む投資法で成功すれば一攫千金だ。アベノミックに続きトランポノミックスのような時代では初期ではその可能性が高いものの、その成功体験から利益以上の損失を出しあるいはそれ以上の含み損を抱えてしまう人は多いい。

 そこで登場するのが、誰もが出来るリスク商品に毎月積み立てする話だ。年金積立が出来ない人のリスク商品の積み立てには、前回の話で金積み立てと、生保の変額年金がありそれぞれ難点があるので、自分に合うもを選べばいい。変額年金の難点は60歳過ぎれば積み立ての開始が出来ない生保が多いのに対して、金積み立ては開始に年齢制限がない。利益に対する税金面では、金投資では控除が雑所得年20万円以内の為、他の雑所得があれば控除はないので積み立ても小口でしかできないが、現物の金として受け取る方法がある。これに対して変額年金では1年間に50万円の税金の控除があるのだ。これで50万の利益の特典を使い毎年減額(この部分は担当の方に聞いてください)していき、これを20年続ければ1000万円の利益が無税扱いになる。例えば30歳の時に毎月1万円を投資し75歳から受ける契約をした例で話すと、55才から毎年減額し、それを20年間続ければこの特典を利用出来て1000万円の利益が無税になる。これは理論上の話でこれを実現するには、1万円の追加投資を後2つしておかないと実現がしない。また一度に多くの金額を積み立てるより何本も投資した方が利点があるのは投資して5年以上経過すればわかるー次回からはこのリスク商品の変額年金の現実の話を掘り下げての話だ